私は、今はとても元気です。
が、
過去に更年期で苦しんだ時期があります。
頻繁に起きる動悸
めまいやホットフラッシュ。
極度の鬱状態・・・
などの症状で、一時は薬も飲んでいました。
もちろん、仕事などできません。
症状が酷くなったのは、
2001年の5月、スクールの下の階に
ライブバー”cure*m”(キュア*エム)をオーピンするために
内装工事をしている時でした。
新規事業の立ち上げで、かなり無理をしていたんだと思います。
改装中のお店で、業者さんと打ち合わせをしていたら、
突然、動悸がし始めて、深呼吸をしても止まらなくなったのです。
全速力で走った後のような心拍状態です。
ついに、救急車で慶應病院に運ばれました。
家に戻ってからも、
毎日、いつ来るかわからない動悸に震え、
救急病院の診察カードを枕元から離せない・・
という状態でした。
店のオープンが近いのに、どうしようと
本当に悩みました。
当時息子は高校生で、アメリカ留学の準備中でしたが、
私がこんな状態でしたので、留学を断念して、
店を手伝ってくれる事になりました。
娘は既にスクールを一緒にやっていましたので、
2人の子供達と、生徒達に支えられて
無事、お店はスタートしました。
お店やスクールを任せられたので安心したのか、
病状はだんだん酷くなり、
ベッドから抜け出せない日々でした。
心療内科に行ったら、
「不安神経症」『パニック障害』といわれ
薬も処方されました。
ますます何も出来なくなり、
散歩すら止めてしまっていました。
まさに、ベッドに釘付け状態でした。
何の意欲もなくなった私ですが、
そんな私にかすかな希望の光が見えました。
歌おう・・と思えたんです。
元々、お店のオープンと共に歌い始めていました。
ビジネスと歌を両立させていく事は大変です。
私は離婚を機に、子育てをしながら、
スクール経営をやってきました。
息子の高校卒業を区切りとして、歌い始めていました。
そんな中での更年期から発したこの病気。
自分が・・と落ち込んではいましたが、
何も出来なくなって、最後に残った希望が歌だったんですね。
それから、お店を閉めるまで約8年間、動悸と戦いながら歌い続けました。
歌っている時だけは、病気を超えた所に自分が存在していました。
不思議な体験でしたが、本当です。
ライブに来てくれた友人達は、私が具合が悪いと言っても誰も信じてくれません。
生命の源(私はマグマと呼んでいる)から声が出るのです。
理屈ではないのです。
チャレンジして生きて来た人だけが、
生命のマグマに炎を赤々と燃やし続けられるのです。
私の声、歌は嘘、偽りのない魂からの叫びです。
自分をごまかして生きる人には絶対に歌えないのです。
そして今、歌い手として次のステージのドアを開けました。
「スタジオライブ」を開始したんです。
ミニ”cure*m”です。
いろんな人と関わりながら、次のステージを歩いていきます。
9月13日(土)は息子の結婚式です。
息子の結婚を期にアーティストを私の中心に置いて活動していきます。
母親卒業^^
次回のスタジオライブは、9月21日(日)です。
スタジオライブは
ゲストなど仲間達ともコラボしていきます。
Ustream配信もしていきます!
Ustream.tv⇒http://www.ustream.tv/user/plastudy
コミュニティも作っていきます^^
私のスタジオライブ詳細はこちらより。
私のこれからのアーティストライフ、是非見届けていって下さいね^^
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topの写真は、”cure*m”で歌っていた頃の私です。元気そうにみえるでしょう?
息子と、友人でドラマーの正木五朗さんと。
左は息子の祐太郎、100種類のカクテルを作りながら、ステージもサポートしてくれました。
右はコーラスの生徒達と一緒にソウルナンバーを歌っているところです。
では、今日も素敵な1日を!!
こちらの応援もよろしくお願いしますね^^
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